横浜DeNAベイスターズは1月17日、三嶋一輝投手の引退を発表した。2025年オフに戦力外通告を受け移籍先を模索していたが、キャンプインを2週間後に控えたタイミングでの決断となった。先発からリリーフに転向して開花しクローザーも務めたが、黄色靭帯骨化症を発症してからはなかなか思い通りに投げられなかった。
高い期待になかなか応えられず
横浜DeNAベイスターズは2011年12月に誕生。2011年のドラフト会議は既に終了しており、DeNAとして初めてのドラフト会議は2012年だった。1位入札で東浜を外し、白崎を指名。ウェーバー順の2位でいの一番にDeNAが指名したのは、法政大の三嶋だった。
中畑監督と同じ駒大から入団した白崎もそうだが、即戦力の呼び声が高かった三嶋と3位の井納は、5年連続最下位だったチームにとっては期待が大きかった。2011年のドラフトでは、球団が身売り騒動の最中だったことが影響したのか、桑原ら高校生8名を支配下で指名しており、新球団になって即戦力を期待できる選手の入団に沸いていた。
三嶋は井納も含めたローテーション争いでは敗れたが、リリーフとして開幕一軍を手にした。2013年3月31日のナゴヤドームでの中日戦でリリーフとしてプロ初登板。その後、リリーフとして一軍に食らいつき、5月5日の同じくナゴヤドームでプロ初先発の機会を得た。この時は勝ち負け付かずだったが、交流戦に入った6月2日の日本ハム戦で8回3失点の好投でプロ初勝利を得た。旭川スタルヒン球場というレアなおまけ付きだった。
その後はローテーションに定着し、ルーキーイヤーにしてオールスターに監督推薦で出場した。最終的に6勝9敗と負け越したが、22試合に先発して146.1イニングを投げて防御率3.94。リーグ最多の79四球を与えたが、145三振も奪った。
2014年はチームの新たな先発の柱と期待され、開幕投手に指名された。管理人も大きな期待を胸に神宮球場へ足を運んだ。しかし、1回裏にルーキーの西浦に3ランを浴びるなど、まさかの7失点。2回にも2点を失い、楽しみにしていた開幕戦が台無しとなる大敗を喫した。それが尾を引く形となり、この年は5試合の先発で1勝2敗と前年の輝きを取り戻すことができなかった。
2015年も開幕ローテーション入りは果たすも、14試合の先発で5勝止まり。シーズン中盤には二軍で調整となり、年間を通した活躍はできなかった。2016年は開幕一軍から漏れ、4試合登板で1勝。2017年も先発は1試合。リリーフとして15試合に登板したが、防御率6.53と精彩を欠いた。
ルーキーイヤーでオールスターにも出場し、規定投球回数にも達して6勝を挙げた三嶋は、チームにとって新たなエースという期待があった。しかし、今永らの台頭もあり、先発ローテーションに居場所はなくなっていた。
リリーフで光明、クローザーに
2018年は、前年の途中で転向したリリーフとして開幕一軍入りを果たす。当初は敗戦処理、ロングリリーフの役割をこなしていたが、次第にセットアッパーなど重要な役割も任せられるようになった。60試合に登板し、リリーフだけで7勝を挙げた。防御率は3.97ではあったが、リリーフで光明を見出した。
2019年は全てリリーフで、前年を上回る71試合、23ホールドと活躍。防御率は4.33だったが、この数字以上にブルペンを支える存在感が増していた。2020年もセットアッパーとして活躍を見せていたが、クローザーの山崎の不振から代役として白羽の矢が立った。
7月29日の東京ドームでの読売戦でプロ初セーブを挙げると、2020年は18セーブをマークした。2021年は三浦新監督に代わり、山崎とクローザーを争っていたが、最終的に三浦監督は三嶋を選択。開幕戦で亀井に代打サヨナラ本塁打を浴び、前年ほどの安定感はなかったが、23セーブをマークした。
FAを前に2022年から年俸変動制の3年契約を結んだ。実際には2025年までの4年契約であったことが後に分かるが、この時の三嶋の活躍を考えれば妥当な待遇であったと思う。
2022年はセットアッパーとして投げていたが、5月に登録抹消となった。1月から足に力が入らなくなることがあったということで、検査したところ黄色靭帯骨化症を発症していたことが分かり、8月29日に手術を受けた。
黄色靭帯骨化症からの復帰
黄色靭帯骨化症は、数々の投手が悩まされた難病。一軍のマウンドに復帰することはできても、かつてのパフォーマンスを取り戻した選手はほとんどいない。そうした中で、山崎がヒーローインタビューで三嶋にエールを送り、三嶋自身も戻るのではなく新たな投手として進化することを目指した。
手術はこれまでにはない術式で行われ、MISHIMA手術と呼ぶべき内容であったことも明かされた。その後、中日の福や阪神の湯浅などが黄色靭帯骨化症にかかり、お互いに情報交換しつつ高め合っていることも報じられた。
2023年はオープン戦のハマスタで復帰登板し、ファンから大声援を受けた。開幕一軍に入り、リリーフとして役割をこなしていたが夏場に調子を崩して二軍落ち。終盤に復帰するも27試合登板で6ホールド、防御率4.84に終わった。
2024年は7試合、2025年は6試合の登板に終わり、大半を二軍で過ごす形となった。黄色靭帯骨化症を乗り越えて一軍のマウンドに戻ったが、以前のパフォーマンスは見せられず、4年契約を満了した2025年オフに戦力外通告を受けた。
三嶋本人も示唆している通り、おそらく現役引退であれば引退試合と球団の何らかのポストを用意していたと見られるが、三嶋自身が現役続行に意欲を見せたことから退団となり、移籍策を模索していた。しかし、三嶋が望むオファーは受けられず、キャンプインが迫る時期に引退の決断を下した。
横浜ベイスターズ時代から応援しているファンにとっては、期待されながらもなかなか結果を出せないもどかしさを常に感じる選手だった。ルーキーイヤーは、当時のベイスターズの選手としてはかなり上手く行った方だったが、2年目以降は苦しんだ。
スライダーという素晴らしい武器があったが、コントロールに苦しみ、魅力を生かしきれなかった。大卒6年目でようやくリリーフで居場所を得た。これもすぐに結果を出せたわけではなく、敗戦処理から少しずつ結果を積み重ねたものだった。
大きな故障がなく70試合の登板も重ねていたが、その中でまさかの黄色靭帯骨化症という難病。そんな逆境にも真摯に立ち向かい、同じ病に苦しむ選手にも配慮を見せた姿勢には多くのファンが心を打たれた。
通算成績は373試合37勝34敗42セーブ56ホールド。もっとできた選手だと今改めて思うが、本当にうまく行かなかった。入団した当時はDeNAとしての黎明期で、そこから観客が増え、チームがCSに出場する機会も増えた。チームとしてはそんな喜びが増える歩みの中で、三嶋自身は苦しいことの方が多かったのではないかと思う。
一旦はゆっくりするということで、3月14日のオープン戦では引退セレモニーも行われる。リフレッシュした上で、再びベイスターズに携わることがあれば嬉しい。13年間の現役生活、お疲れ様でした。


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