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相川コーチの就任も正式発表 小谷氏がアドバイザーに

横浜DeNAベイスターズは、相川亮二氏と2022年のコーチ契約を結ぶと発表した。2008年オフにFAでヤクルトに移籍、その後読売に移籍してバッテリーコーチも務めていた。来季14年ぶりに古巣へ復帰となる。また、小谷正勝氏がコーチングアドバイザーに就任することも発表された。

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FAで出て行った選手がコーチとして戻る

まだまだ日本のプロ野球では移籍に対するイメージはマイナスだ。特にFA移籍ともなれば、チームを捨てて出て行ったという印象が強い。いわゆる暗黒時代と言われるTBS時代の横浜ベイスターズから移籍したとなると、喧嘩別れという雰囲気だった。

NEW COACH COMING BACK TO YOKOHAMAとして動画も公開されたシリーズとしては、今回で完結。斎藤隆、鈴木尚典、小杉陽太、石井琢朗、相川亮二の5コーチが古巣横浜へ復帰した。

小杉コーチの場合は、引退後に実業家や大学でのコーチなどを経ての復帰なので、他のコーチとは少し異なる。鈴木コーチについても、神奈川FDに派遣されていたような形なので、復帰というより人事異動の印象が強い。

斎藤コーチ、石井コーチの場合は、自由契約になって移籍し、その後も長く現役を続け、他球団でのコーチ経験を経て17年、14年ぶりの復帰になる。相川コーチも14年ぶりの復帰となったが、FAで自ら移籍している部分が少し異なる。

ベイスターズからFA移籍した選手のうち、MLB移籍した佐々木氏は選手として復帰した例はあるが、それ以外でコーチを含めても復帰した例がなかった。谷繁氏、門倉氏、村田氏、金城氏といった他球団で監督やコーチを経験した彼らも、将来的に戻るという可能性が広がったように思う。

コーチがプレーするわけではないし、OBばかりで固めるのもベストとは思えないが、ファンにとってかつて応援していた選手が、チームの為に力になってくれるのは非常に嬉しいこと。そして、ベイスターズ一筋で現役を終えて、そのままコーチ、監督になった三浦監督のようなケース以外にも、他球団でのプレー、コーチ経験はまた違った財産になる。そういう経験をした彼らを、この機に迎え入れられたことは、今後の球団にとっても意味のあることではないだろうか。

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捕手として球団最高の.302をマーク

相川亮二は、1994年ドラフト5位で東京学館高から入団。奇しくも今年のドラフト3位で同校から粟飯原を指名している。1学年下にヤクルトの石井弘寿コーチがいるが、あまりプロ野球選手を多く輩出する高校ではないので、彼としても高校の後輩は気になる存在だろう。

高校では捕手の経験は浅く、打撃が評価されての指名。入団後は鶴岡らとファームで競いながら、基本的な能力を高めた。当時、谷繁という絶対的な捕手がおり、バックアップとしても秋元がいたことから、なかなか1軍のチャンスはなかった。

2001年に森監督が就任すると、谷繁とのそりが合わず、相川を起用することが増えた。谷繁がFAで中日に移籍後は正捕手として期待されたが、故障もあってレギュラーに定着できず、中日から移籍して来た中村武志の2番手という立場だった。

2004年にアテネオリンピック代表に選出され、このシーズンは初めて100試合を超えて出場し、レギュラーに定着。2005年は144試合に出場、三浦と門倉がタイトルを獲得するなど、バッテリーが奮起しチームも3位となった。2006年には同学年の多村、金城とともにWBC選ばれ、リーグを代表する捕手の仲間入り。チームでは選手会長も務めた。

2005年のファンフェスで多村氏とのトークショーで笑顔を見せる相川コーチ

2007年は打率.302をマーク。谷繁が1996年にマークした.300を抜き、現在も捕手としての球団最高打率となっている。しかし、この年に右肩の故障があり、オフに右肩関節唇の手術を行った。この影響で、2008年は欠場も多く、投打に精彩を欠いた。

そうした中で海外FA権を取得し、MLBへの移籍を求めて宣言に踏み切った。当時のベイスターズはFA宣言した場合の残留を認めておらず、その時点で退団となった。結果的にMLBから良いオファーは届かず、国内で唯一手を挙げていたヤクルトへの移籍が決まった。

ヤクルト移籍後は正捕手として活躍、自身初のクライマックスシリーズも経験した。2012年にはキャプテンに就任し、チームを中心的な立場で引っ張った。その後はケガが多く、2014年は中村の台頭で出番が激減。オフに2度目のFAを行使し、阿部をファーストに転向させる計画のある読売と交渉がまとまった。

しかし、読売移籍後もケガで離脱し、小林らの台頭により出番はさらに減り、成績も年々低下して行った。移籍3年目の2017年に引退を決意。すぐに読売からコーチの打診があったが、2018年は解説者としてネット裏から学び、2019年に1軍バッテリーコーチに就任し、原監督の下で2連覇に貢献。今季は途中、3軍担当に回ったが後半戦は1軍のコーチを務めた。

ベイスターズでは入団後の1998年に優勝しているが、1軍出場はなし。ヤクルトはFA移籍後の2015年に、読売は引退後の2019年に優勝と、選手としては優勝に縁がなかった。1軍コーチとして連覇を経験した。

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三浦監督を男にするために力になりたい

相川コーチはさっそく、20日の秋季トレーニングを視察。開始前に「今日からチームの一員となるので、また同じ目標を持って戦わせてください」と挨拶した。三浦監督については「僕にとっては兄貴分。三浦監督を男にするために力になりたい」と語った相川コーチ。

やはり三浦監督というのも、復帰を促すポイントになっただろう。相川コーチにとっては、1軍定着に向けて三浦監督とのバッテリーは非常に学びが多かったはずだし、恩義も感じているだろう。その人が監督をしている中で、古巣から声がかかったのだから、過去のことに拘っている場合ではない。

「もうベイスターズのユニホームを着ることはないんじゃないかと本当に思っていた」というのが本音だろう。そうした中でDeNAから声がかかり、本人も少しの戸惑いがありながらも、気合いが入っているのではないか。かつてファームでともに競った鶴岡コーチが2軍を担当すると見られるが、タッグを組んでバッテリーのレベルを押し上げてもらいたい。

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小谷氏がコーチングアドバイザーに就任

小谷正勝コーチと言えば、須藤監督に代わった1990年にチームに復帰、1995年まで投手コーチを務め、三浦監督や斎藤コーチを指導し、ローテーション投手に育て上げた。佐々木氏も小谷コーチの影響の大きさを語っていることがあった。1998年に優勝する投手力の基礎を築いたコーチと言っても過言ではない。

1996年からはヤクルトでコーチを務め、2003年に山下大輔監督が就任すると、ベイスターズに復帰。佐々木氏が絶賛していた大洋出身のコーチの復帰に、投手陣再建の期待をしたが、山下監督が2年で退任すると、小谷コーチも併せて辞任した。

その後は読売、ロッテで長く投手コーチを歴任。兵庫県出身ながら、ずっと関東圏のチームで数々の投手を育て上げた。大洋出身の名コーチがいるのに、なかなかベイスターズのコーチを務める機会がなく、残念に思っていた。そして、2019年にはがんを患って読売のコーチを退任しており、心配していた。

その中、2022年にベイスターズのコーチングアドバイザーという新しいポストへの就任が決まった。ベンチに入らず、基本的にユニフォームも着ることなく、スポット的に選手を見たり、コーチへのアドバイスを送って行くようだ。

コーチ時代の教え子でもある斎藤コーチ、木塚コーチ、そしてもちろん三浦監督へのアドバイスも行って行くのだろう。小谷アドバイザーも秋季トレーニングを訪問し、2004年以来18年ぶり復帰となる古巣への思いも語っていた。

小谷アドバイザーが直接、選手を指導するのではなく、コーチも交えて話をするスタイルでやって行くようだ。コーチも育てながら、選手のレベルアップも行うには、こうしたアドバイザーの存在も大きい。まだまだ若々しい田代コーチだが、ゆくゆくはこうした役割も視野に入ると思うので、この試みは期待したい。

小谷アドバイザーは、読売のコーチ時代に携わった宮國を気にかけ、今年の2月に宮國が所属なしのため単独で行っていたキャンプを訪問。その指導と本人の努力で、ベイスターズとの育成契約に結び付いた。結果、ご存じの通りスターナイト初戦で1軍での勝利を挙げるに至った。

生涯コーチであり続けたいという思いもあるだろうが、ご自身の体調が良いとは言えない中で、こうした役割を担ってくれているのも、古巣への思いと教え子でもある三浦監督を少しでも助けられればという思いだろう。

実際のところ、どれだけ効果があるのかというのは判断が難しいところだろうが、NEW COACH COMING BACK TO YOKOHAMAの中に小谷アドバイザーが入っていてもおかしくないくらい、横浜に戻って来てもらえたという思いがある。

FAでお金をかけた補強ができるチームではない以上、ドラフトで選手を獲得し、育成する以外に勝てるチームにする方法はない。そうした中で、DOCKを始めとした施設を整え、コーチを育成していくという取り組みは評価できる。その上で、経験の浅いコーチを育てる為のベテランコーチの存在が少し薄かった。

そうした中、野手部門では3球団で7年のコーチ歴を持つ石井コーチ、投手部門では小谷アドバイザーを迎え、選手はもちろん、コーチも育成できるような体制に一歩踏み込んだと思う。来季すぐに結果が出るのは難しいが、こうした取り組みが球団の育成力に繋がって欲しいと思う。

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番長の元に集うかつての仲間たち

ラミレス監督から引き継いだ今季は、前年以前からチームを熟知しているコーチを多数留任させ、スムーズな引継ぎを行った。最下位に転落したこともあり、コーチの入れ替えを断行し、その中でチームを長く離れてしまったOBを呼び戻す形になった。

これが実現したのも、三浦監督のために、というところが大きいだろう。本心からそう思っているだろうが、球団もコーチ本人もそうした大義名分があるので、やりやすいという側面があるだろう。横浜大洋時代末期からずっとチーム一筋で歴史を刻み続けたレジェンドに、他球団で経験を積んだかつての仲間たちが集結してきた。

ホエールズ、ベイスターズで共に戦った時間は、苦しいことの方が圧倒的に多かったように思う。だからこそ、この球団で再び監督、コーチ、アドバイザーという形で集う来季、最高の結果に結び付くように、これまでの経験を集大成して、選手たちを導いて欲しいと思う。

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