3月11日。東日本大震災から10年を迎えた。東日本の方だけに限らず、あの日を経験した国民が忘れることのできない記憶。現実とは思えない光景を目にして、何もできない無力感。今後どうなってしまうのかという絶望感。今、コロナ禍で苦しい時を持ちこたえられているのも、あの日々があったからこそかも知れない。
管理人はあの時、品川のオフィス9階で勤務していた。それまで経験したことのない揺れに、ビルが崩壊してしまうのではないかと恐怖を覚えた。揺れている時間が本当に長く感じた。幸いにも会社から自宅まで歩いても1時間強という距離だったので、16時前には会社を出て帰路に就いた。
当時はそれほど更新頻度は高くなかったが、3月16日になって前身の「年中ベイ」として下記の記事を書いていた。
それぞれの方が、それぞれの立場で10年前を振り返っているのではないかと思う。当ブログはベイスターズブログなので、その観点で10年前を振り返ってみようと思う。
オープン戦を行っていたあの日
横浜DeNAベイスターズも、14:46に東日本大震災10年のツイートを行った。この日は、翌日から静岡でのオープン戦を控え、ハマスタで全体練習を行い、黙祷を捧げた。
2011年3月11日も三浦監督は同じハマスタにいた。
この試合はさすがに観戦に行っていなかったが、球場でその瞬間を迎えられた方もいると思う。ちょうどこの日に先発していたのが三浦監督だった。報知さんの記事にあるように、ハマスタの照明塔が揺れている映像は衝撃的だった。
未曾有の災害に、翌日からオープン戦は中止。東日本を中心に野球どころではない生活が続いた。
騒動の末、2週間強遅れて開幕
原発の状況が懸念され、電力不足から計画停電も続く中、セ・リーグで当初の3月25日の開幕を強行する動きが出始めた。
パ・リーグは、楽天の選手や関係者の家族等が多く被災しており、野球を再開させるような状況ではなかった。その為、早くから開幕を延期する考えを持っていた。しかし、セ・リーグは建前としては野球で復興への勇気を与えるとしながら、実際は開幕を延期した場合の損失を懸念し、強行で開幕させようとしていた。
結局、世論にも負けてパ・リーグが進めていた4月12日開幕に合わせる形で落ち着いた。当初の日程のまま開幕日だけをずらしたため、ベイスターズはハマスタで開幕することになった。
結果として横浜ベイスターズとしては最後の開幕戦となった。電力事情に配慮し、平日ながらデーゲームでの開幕。3年連続最下位で迎えたこの年、チームは尾花監督2年目で、全力疾走などの基本を改めて徹底し、変わろうというシーズンだった。
開幕戦は劇的なサヨナラ打で白星発進となった。野球ファンとしては、日々の生活に野球があることで気持ちの支えになった。野球どころではないという方も大勢いた中で、選手たちは少しでも勇気を与えられればという気持ちで懸命にプレーしていた。
序盤は食らいついていたが、他チームとの差は大きく、次第に沈んで行った。延長戦を行わない措置を取っていた為、引き分けが増えて90敗は免れたが、前年と大差ない低い勝率で4年連続最下位。
オフには前年に続いて身売り話が浮上。騒動の末、DeNAが保有することが決まり、「横浜DeNAベイスターズ」として新たな道を歩むことになった。
横浜DeNAベイスターズも10年
XYDB = X(10) Yokohama DeNA BayStarsということで、横浜DeNAベイスターズも今年、10周年目を迎えている。震災からの復興と一緒にするわけではないが、ベイスターズも5年連続最下位から3度のCSに進出するまでに立て直して来た。
震災からの復興は今も続いている。原発の廃炉にはまだ長い時間がかかる。決して風化させてはならない出来事として、これからも心に留めて生きて行く。その中で、20年、30年という節目を迎える度に、あの日からの復興が進んでいることを実感して行ければと思う。
あれから10年。横浜から球団がなくなるのではないかという状況から、200万人動員、そしてハマスタの増設など想像できなかった。しかし、まだ大願は果たしていない。これからもチャレンジは続いて行く。
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